大阪府の大学に通う奈良県民ゲーマーあさひの趣味日常をお送りするブログです。
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ベルファ行って波平と会ってきた。やはり太鼓のモチベの高さはメンテの良さに比例する。といってもまあ5クレくらいしかしてないけど。
今日は久々に長文を書きたい気分になったので書いてみます。
愚痴も多少混じってるので受け付けない人は回れ右!
まずこんなことを恥ずかしげもなく言う奴じゃないですが、今朝受けた普通免許の卒業試験で、学科試験のことばかり考えていたせいなのか、縦列駐車でまさかの前右輪脱輪というあまりにも不覚の出来事で落ちました。
でまあその後でお決まりの親の説教なわけですが、その中で色々思ったことがあるので少し書きます。
まず質問です。次の2つの言葉をよく読んでください。
「自分の発言は根拠に基づく正しいものであること」
「自分の発言の価値を相手に見出ださせること」
この2つは私が勝手に考えた、いわば自分に言い聞かせるための決まり文句みたいなものなのですが、みなさんはこのそれぞれの言葉の意味がわかりますか?
また、この2つの言葉の違いがわかりますか?
まずひとつめ「自分の発言は根拠に基づく正しいものであること」は、つまり自分の言ってることが正しいかどうかということです。そのまんまです。この言葉を以降「A」とします。
でも、私はこの言葉にはどうしても引っ掛かる部分があるのです。その引っ掛かる部分がよほど大事だと思っているからこそ、あえていつも自分の心に留めているのです。
ではその引っ掛かりは何なのかというと、ふたつめの言葉を考えればそれが見えてきます。
ふたつめの「自分の発言の価値を相手に見出ださせること」とは、その言葉における価値観を共有化すること、つまり自分の発言が相手にとって有益となるかどうかということを問うものです。これを以降「B」とします。
ではこの2つの言葉を定義づけたところで、これらの違いについて見ていきます。
AもBも、なんか文字の絵面だけ見てたらやたらと重苦しい感じがすると思います。けどみなさんは誰しも必ず、友達や親類などといろんな場面において普段の談笑とは違った真剣な話し合いをしたことが何度かあるでしょう。そういう時って、自分が物申す時は慎重に言葉を選び、また聞き手の時は自分の心や次の言葉選びに反映させようとじっくり聞くはずです。それはつまり、先ほどのAやBと同じようなことを、知らずとも何かしらどこかで意識しているということだと思うのです。
では、みなさんは誰かと話をする時、AとB、どちらがより重要だと思いますか?
まずAは「正しい発言」であることが前提となっています。実はこれは、嘘を使っていないということと、相手の気持ちの考慮より優先であるという意味が裏に隠れています。
一見こじつけみたいに思うかも知れませんが、こんな経験はありませんか?
例えば、明日にテストを控えた息子が、一旦勉強を切り上げ夕食をとった後にテレビを見ている場面です。
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俺(さて、そろそろ勉強するかな‥‥)
母「あんた、いつまでテレビ見てんの!さっさと勉強しなさい!」
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単純ですが、もっともやる気が削がれるパターンのひとつだと思います。このあとあなたならなんと言い返しますか?
ちなみに私は言い返せません。言い訳できないというのもあるし、言い返しても変わらないとも思うからです。
しかしここで大事なのは、言い返せるかどうかではなく、この母の発言によってどのような結果が生まれるのかということです。
まず母の立場から考えれば、テレビを見ている息子のことを勉強をサボっているとみなし「勉強しろ」と言ったのですから、このこと自体には何の間違いもない、つまり「正しい」ですよね。
ですが息子の気持ちはどうでしょう。言わずもがな、普通ならばせっかく勉強しようと意気込んだ矢先にそんなことを言われては、せっかくのやる気も一気に消え失せます。よって息子には何一つメリットはありません。
結果としては、母はただ見たままを思い浮かんだまま言っただけ、それが息子のやる気を削いだ。どう考えてもマイナスですよね。
母は『正しいことを言った』にもかかわらずです←ここ超重要
ではどうすればよかったのかというと、これも単純で、母親が息子に何も言わなければよかったのです。そうすれば息子はやる気に満ちたまま机に向かうことができたはずです。あたりまえですよね。
ここで今これを読んでる何人かは「そんなこと言っても息子が今から勉強するかどうかなんてわからないだろう」と思うでしょう。しかし私に言わせれば、それは明らかに甘い考えです。
仮に母が実際に何も言わなかったとします。そしてそれによって得られる結果が「息子はテレビを見るのをやめて勉強を始める」か「息子はテレビを見続ける」の二択だったとします(それ以外を考えだすとキリがないので)。
前者ならそれで解決したといえるでしょう。では後者の場合はどうするかというと、私が考える母のもっともベストな行動は、これもまた「何も言わない」です。母も勉強しない息子に頭にきている所ですが、そこは我慢を続けます。分かりやすく言えば、息子は明日テストであることは当然わかっていて、あとどれだけ勉強しなければいけないかは自分が一番わかっているだろうと考え、放っておいて息子のペースに任せます。
そして翌日のテストで、また二択を迎えます。それは息子のテストの成績が「良かった」か「悪かった」かです。もし息子がテレビばかり見ていたにも関わらず良い成績をとったとすれば、それはそれで御見逸れしましたということで解決になります。後者だった場合、当然母は何かしら言いたくなるでしょう。仮にここで言った言葉が「ほら、だからあの時テレビばかり見てないで勉強してればよかったじゃない」だったとします。
ここで先ほどの「テレビばかり見てないで勉強しなさい」と、この言葉を比べてみてください。単に過去形になっただけのように見えるかもしれませんが、実は決定的な違いがあります。わかりますか?
「テレビばかり見てないで勉強しなさい」では、息子の気持ちを傷つけただけで利益はお互い何もありませんでした。それは、母が今から息子が勉強を始めるという可能性を考慮せず、「注意しなければ勉強をサボる」という先入観にとらわれてしまった、つまり後先考えずに発言してしまった、息子の立場に立てなかったことが原因です。もしここで母が勉強しなさいと言いたいところを踏み止まり、「あの子ったらまだテレビを見ているわ。もしこれで成績が悪いようならその時に叱ってやろう」という考えに至っていたらどうでしょう。その考えとはつまり先ほどの、テストの成績が悪かった時に放った「ほら、だからあの時テレビばかり見てないで勉強してればよかったじゃない」のことを指します。ここで、息子の立場になって考えてみます。このように言われた息子は一体何を思うでしょうか。
当然、息子の性格や母親の叱り方は様々なので、全く同じ気持ちになるということはありえませんが、これがどのような場合であっても、「テレビばかり見てないで勉強しなさい」のパターンにはなかった、必ず共通する点がひとつあります。それは、「テレビばかり見て勉強しなかったから成績が悪かった」という事実に基づいた叱咤であるということです。つまり『因果関係が存在する』ということです。
これならば、たとえ息子が叱られたことで逆ギレみたいになったとしても、成績が悪かった原因が自分にあることは息子自身が一番わかっているので、上辺はどうあれ息子の心の有様と今後の行動に対してとても大きな影響を与えたであろうことには変わりありません。これなら、母の言葉がきっと有益であったといえるのではないでしょうか。
さて、ここまで例を語ったところで、本題のAとBを思い返してみると、少しは理解できる点が現れたでしょうか。
つまりAとBの言葉が表す意味は、「発言が正しいかどうかよりも、その発言によって相手に与える影響を優先して考慮すべきである」ということなのです。これが私の一番言いたいことです。自分の発言によって相手はどんな気持ちになるか、言うべきタイミングは今であるか、今後の相手の行動や自分との関係にどう関わるのか、といったことを逐一考えていくべきであると私は思います。聞こえはめんどくさいですが、相手を思いやる良い関係を良い結果を求めるのならば、誰もが絶対に欠かしてはならないことです。それに、こういう事は意識せずとも自然にやっている人だってたくさんいます。私が出来ているかどうかと言われると自信はありませんが。
追記として、正しいけれど後先考えずに発言するというのは、言われた相手は腹が立ったけれど、その発言が「正しい」がゆえに相手は言い返しにくくもどかしいと感じるので、より相手のストレスを悪化させることがあります。相手を思いやった言い方をしたいのであれば、場合によっては物事の正しさにとらわれず多少の嘘を盛り込んだりするのもアリだと思います(もちろん、後から困るような嘘をついてはいけませんが)。結果論として、相手に与える影響を優先して考慮すべきなのですから、それによって物事がよい方向に進むのであればそれが最良なのではないでしょうか。つまり「正しいことを言う」ことは、必ずしも正しいとは限らないということですね。
以上です。長文失礼しました。多少日本語とか文脈がめちゃくちゃだったりかもですが、共感してくれたらコメント欲しいです。質問や批判も大歓迎。
だから俺の気持ちをわかろうとしない人間の気持ちを理解する気になんてなれるわけがない。最近になってほんとひどい。あれが更年期障害っていうやつならさっさと病院行け。もういらんでこんなガキみたいな親。
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正論ばっか言われてもどかしい気持ちになるにめっちゃ共感した(´・ω・`)
でもその正論に対しての言い返しがもっと優しい言い方とか出来んのかって関係ないことしか言えない自分がかなり惨めやった(;;)
相手が正しいことを言っているのであればそれを許容出来ないのは。
人の心を考えていない相手の性ではなく、正しいことを許容出来ず勝手にイライラしてる自分だと思いますよ。
もちろんさじ加減が必要ですが、正しいと思っていたのであればすぐに口にすべきだと思います。言いたいことを相手にとって有益なタイミングに合わせる義理はないでしょう。
逆に受け取る側も、正しいことを言われているのに、それでイライラしたりするのは間違いであるとそこで自分で気が付くべきではないでしょうか?
相手の事ばかり考えて言いたいことを言い出せなくては人間関係として失敗です。逆にズバズバ言いすぎるのも関係の故障になると。
結局はバランスが肝心ということですね。
でも最近気付いたわ。言われる側も相手がどんな気分で言ってるのかまるで理解してない馬鹿もたくさんいるってこと。結局ここで何を議論したところで愚痴止まりにすぎないんだろうねえ・・・